○北村参考人 先ほど申しましたのは私の想像でありまして、濠州がどういうふうに考えているかわかりません。しかし、もしも立場を逆にしまして、私が濠州の海軍を管理しておるとしますならば、日本人のそういう優秀なる技術と無償なる労働力というものは、離したくないだろうと想像できるのであります。技術的に優秀であるということは、日本人は、建築にいたしましても、土木にいたしましても、向うで青写真を一枚持つて来れば、その
北村義廣
○北村参考人 お答え申し上げます。先ほど濠州における死刑囚はないと申しましたが、一名だけ、オランダで死刑を宣告されまして巣鴨に入れられ、巣鴨からわれわれと一緒に向うに行つた者が一名だけございます。オランダの死刑囚であります。残されたるただ一人でございます。
その次の、もしもという仮定の問題でございますが、向うにおります連中は、何といいますか、直接権力のある濠州のはつきりした表示でない限り、日本のことはあまり
北村義廣
○北村参考人 このたびかかる権威ある会議に呼ばれまして、皆さんにマヌスの状況を御説明申し上げる機会を與えられましたことを、実にありがたく思つております。こういうことをマヌスにおります連中が聞きましたら、私以上にもつと喜ぶだろうと思います。
実は私は、昭和二十一年に一旦復員いたしまして、昭和二十三年の四月に容疑者としまして、巣鴨に入れられ、二十五年にマヌス島に送られ、そこで二年の刑を受けまして、四月
北村義廣